2013年12月19日木曜日

今年一年の取材を振り返って (あんな人にも逢えた。)


去年の九月にケニヤ大統領がニューヨークで同国人をもてなすイベントをした時、ケニヤ出身の友人が呟いた。
 
「海外在住の利点は、自国にいたら会えないような大物に会えてしまうことよね。」
これはお国柄を問わずの共通点だ。
 
私が住むボストン北部のローエル市は全米で二番目に大きいカンボジア移民の街。そこに今年8月、カンボジア首相の地位を争っていた野党救国党議長のサム・レンジ―氏がやって来た。今年取材した著名人の一人である。


レンジ―氏は政治逮捕を免れるために何度も逃亡をしてきた強者。民主主義を推進しており、在米カンボジア人には彼を神のように奉る者も少なくない。
 
ローエル市は、ベトナム戦争が発端で巻き起こったカンボジア内戦時代に、虐殺が横行する祖国から命からがら逃げてきた難民が多い。政治は今でも波乱に満ちているが、二重国籍が許されているためわざわざ帰国して投票する人もいる。移民たちは大きな資金源になる上時評を左右する力もあるので、レンジ―氏のような政治家にとっては下にも置けない存在のようだ。
 
しかし移民側からしてみると、レンジ―氏に会えるのは千歳一隅の機会。会場となった地元のダンスホールには、彼を一目見ようと移民が何百人も押し寄せてきた。彼が到着するなり大歓声。中背で黒縁メガネをかけた元銀行管理職のレンジ―氏は、オレンジ色の衣に身を纏った仏教のお坊さんの前に静かに進み、ひざまずく。その様子を必死に録画する群衆。彼が席についてスピーチを始めた後は、そのお坊さんすらiPadをかかげて録画をしていた。
 
演説はカンボジア語のみであったが、幸いにもアメリカ国会議員に立候補したこともある地元のカンボジア系アメリカ人が、私の耳元で同時通訳をしてくれた。スピーチの後は本のサイン会。全て終わるまで辛抱強く待った挙句インタビューしようと進みよったが、レンジ―氏は護身の警官に背中を押されながらあっという間に車に押し込まれた。その車を芸能人を追うファンのように取り囲んでエールを送る移民たちの熱気にはすごいものがあった。
 
その後レンジ―氏のお付きの人と連絡をとりあいながら、プライベートな会合をしていたレストランに彼を訪ねてインタビューに漕ぎついた。逃亡生活を経て自国に戻った時の心温まる国民の反応に感動したことや、海外在住のカンボジア有権者のサポートがどれほど重要かなど10分ほど語ってもらった。
 
確かに移民パワーは強し。2時間のイベントで1万7千ドル(約170万円)も募金が集まっていた。
日頃カラオケに没頭して平和に暮らすカンボジア移民。彼らの祖国への想いと情熱的な一面が垣間見れる機会であった。

*********


Copyright © 2013 ボストン・マインドに掲載されている記事、写真、動画等の無断転載と使用を禁じます。
Copyright © 2013 ボストン・マインドand 佐藤広子. Unauthorized use and/or duplication of this material without express and written permission from this blog’s author and/or owner is strictly prohibited. Excerpts and links may be used, provided that full and clear credit is given to 佐藤広子 and ボストン・マインド(The Boston Mind) with appropriate and specific direction to the original content.

0 件のコメント:

コメントを投稿