2017年1月22日日曜日

新聞業界、さようなら




突然だが、新聞会社を辞めた。実は、既に1年前のことだ。

以前書いた通り、アメリカの新聞業界は日本の同業界とは比べ物にならない速度で衰退している。働いていた新聞社では編集室の従業員数が10年間で半減し、いつレイオフがやってくるかと戦々恐々としている人も多かった。「自分の途」であった記者業。収入よりもやりがいを追求して入った業界だが、理想のかけらも追えない状態になっていることに気づき、去ることにした。

ということで、ピッチ―ルームという会社を立ち上げた。世界進出を目指す日本企業などを英語でメッセージを発信することによって後押しするグローバル広報事業だ。このビジネスを興そうという考えたのは、まだ記者をしている時だった。ボストンで知り合いだった日本人が現地のアメリカ人との面談アポ取りに四苦八苦しているのを見かねて手を差し伸べたのがきっかけだった。一人は実業家で、もう一人は会社員。会いたい大学教授や組織代表者に何度メールを出しても、うんともすんとも返事がこないというのだ。彼女らは英語も堪能で、何が理由で返事をもらえないのか悩んでいた。そこで、彼女らが既に出したメールを見せてもらい、丸ごと書き換えて新しいメール文を作って渡した。実業家の知り合は、私が書いたメール文をお目当ての教授にほぼそのままで送ったところ24時間以内に返事が来たという。びっくりしたというお礼の言葉を連ねたメッセージをもらった。もう一人の友人も、連絡先から返信が来たと報告してくれた。

なぜアメリカ人はこちらが出したメールを無視するのか、という質問をよく受ける。それに対して私が真っ先に指摘するのは、彼らは「無視」しているのではなく、そもそもメールをもらっていることにすら「気づいていない」ということだ。なぜ日本人の書くメールはアメリカ人の「目に留まりにくい」のか、それが問題なのだといつも話す。

これはメールに限らない。ウェブサイトにしてもプレスリリースにしても、対象がアメリカ人ならば彼らの目に留まりやすく書く必要がある。もちろん、目に留まるだけでは十分でない。 「え?何これ?」と振り向いてもらえる、「面白い!」と共感してもらえるものを書く必要がある。それは、実は記者として毎日実践してきたことなのだ。

アメリカでは新聞が路上にあるボックス型の自動販売機で手に入る。箱の扉がガラス張りで、内側から一面記事が見えるように半分に折った新聞を差し込んである。見出しを見て興味が湧いたらコインを入れて扉を開け、新聞を取り出す仕組みだ。ある時、バス停の横にある販売機の前にしゃがんで、コインを入れずに一面記事を食い入るように読んでいる人がいた。私が書いた記事だった。新聞をまるごと買う気はないが、その記事はバスが来るまで出来るだけ読んでしまいたいということだろう。記者にとっては第一文が勝負どころ。出だしで読者を引き込み釘付けにできる力があるか、それが書き手としての技のみせどころだ。新聞を買ってくれなくても良い。販売機の前から身動きせずに記事に縛り付けになっている人の姿を観るのは、記者冥利につきると感じた。それが書き手として目指すところだ。

米国人読者の心を最初の一文で捉える文を書く、そして彼らにすんなり理解できるように、飽きずに最後まで読み通せるように書く。それが、過去17年間アメリカ地方紙の記者として実証してきた私のスキルだ。それをどうやって書くかは、英語力の問題だけではない。彼らの文化、具体的に言うならどういった事柄が興味をそそり、どんな言葉がどういう連想を招くかといった思考回路の問題、そしてタブーなどを含めた社会的要素を深く理解する必要がある。

もし、この記者として身に着けた技術を活かして日本人の世界進出を後押しできるなら、これほどやりがいのある仕事はないだろうと思ったわけだ。

それが、The Pitch Room (ピッチルーム)というPR事業のはじまりだった。1)英語でプレスリリースを書く、2)アメリカのメディアに取り上げてもらえるよう働きかける、3)「翻訳ではない」英文を書く(英語ウェブサイト文をイチから創るなど)といったコピーライティング、そして4)アメリカ文化を踏まえたうえでのマーケティング戦略のコンサルティングを行っている。

少し宣伝めいてしまったが、このブログはジャーナリストとの観点からこれからも書き続けるつもりだ。記者として体験してきた事柄を紹介していきたい。

「マリン」と呼ばれるアメリカ海兵隊員は、数年しか海兵隊で働かなかくてもそこで得た価値観を一生持ち続ける。「一度マリンになったら一生涯マリン」というセリフがあるのはそのためだ。ジャーナリストも似た面があるかもしれない。新聞という「業界」は離れたが、自分は何時までも「ジャーナリスト」であると思っている。

2014年4月8日火曜日

「そして、誰もいなくなった」ら…

 
もと編集室。引っ越し後、机も椅子もなくなり、掃除を待つばかり。


職場で引っ越しがあった。
近年めっきりスタッフの数が減った編集部。ガラガラ状態になっていた部屋を引き払い、同じビルの反対側に移って他部署とスペースを共有することになったのだ。 

このビルは、アメリカ繊維歴史博物館が一角に構える、重工な煉瓦造りの建物。我々は、5年程前に狭くて汚くなったダウンタウンのビルから意気揚々と引っ越してきた。当時の編集室は70人以上のスタッフが所せましと肩を並べ、彼らの電話取材の声や人の出入りで喧噪に満ちた場所だった。しかし、その陰で既に始まっていた採用凍結。ボストン界隈も含め全国的に新聞の発行部数が激減する中、我が社は黒字を維持してきたが、それ自体が既に奇跡に見えてしまうご時世が到来していた。
 
また、この新聞社自体が黒字でも、全国に数多くの新聞を抱える親会社は赤字。私の職場でもレイオフはここ8年で数回あった。スタッフが辞めても代わりは雇われず、そのポジションが自然消滅するというのが恒例だ。その分の仕事は勿論現存のメンバーがこなさざるを得ない訳で、プレッシャーは増すばかりだ。そして気が付いてみると、かつては満席に近かった編集室が半分空き部屋状態になっていた。

今回の部屋の移動は、言ってみるなら新聞業界の衰退を絵で描く引っ越しなのだ。

新聞業界の衰退はテレビやインターネットのせいと良く言われるが、現実にはそれほど単純な問題ではない。 
 
確かに、同じ記事をインターネットで無料で読めるなら、わざわざ紙の新聞を買う必要はない。2008年に米経済がが崩壊した直後は、財布の紐を引き締めるために紙の新聞の購読を減らす家庭も多かった。デジタル版の新聞でも、有料なものは購読せずに似た情報を得られる無料サイトから手に入れて間に合わせる手もある。これは、今やネットの記事すらなかなか読んでもらえない理由のひとつであろう。

 しかし、私個人としては、新聞の衰退は民衆の行動パターンの変化といった奥深い問題が原因となっていると考えている。そもそも、最大の要因は「読む」という習慣が廃れてきていることなのではないだろうか。言ってみるならば、「紙離れ」ではなく、「読み離れ」である。
 
最近は、編集室で「デジタル」と言ったら、まずビデオのこと。記者は従来の取材を続ける中、同時に45秒ほどのビデオを撮ることを義務付けれられている。これは、ネットで記事だと読んでくれなくても、ビデオがあるとクリックしてくれる読者が多いからだ。
 
先日、一般市民がどれだけ地元の市政に疎くなってきているかについて同僚と嘆いた。市議会を聴衆するわけでも、議員選挙に投票するわけでもなく、ひたすら税金が高いなど苦情を唱える住民たち。なぜ、新聞に毎日載っている詳しい市政の記事を読まないのか。その時、同僚が言ったこと。
「でも、良く考えてみると、仕事終わって疲れて帰って、そういう記事なんか読んでられないよね。」
 
「読んでられない」から、気楽な動画であらすじを掴みたいということなのだろう。

ジャーナリズムの学位をとり永年経験を積み上げて得た知識が、45秒の動画とTwitterの140文字に化けるということに嘆かないわけではない。しかし、いくら良いものを書いても読者が読んでくれないのでは、会社の経営も記者の生活もなりたたない。

アメリカ新聞協会によると、日刊紙発行部数は全国で2000年から2011年の間に約20パーセント減ったらしい。これはあくまで総合数で、州都などにある大手の新聞は購読数が激減したところが多い。これは、アメリカ人は自宅から半径数キロ以内の地元情報を最重要視する傾向が強く、州全体をカバーする新聞はなくても凌げるからだ。最近はデジタル版のおかげで購読数が持ち返してきている新聞もある。
 
だが、だからと言って収益が伸びているわけではない。インターネットの広告費が紙媒体の広告費とはくらべものにならない程安いからだ。
 
「インターネット」という言葉が一般的に使われ始めた1900年代に、新聞社はどこもオンラインの広告需要を上げるために、料金を叩いて提供していた。その後、需要が上がっても何故かなかなか料金は上がらず、現在に至っている。
 
また、紙媒体の広告料金は発行部数で決まるのと同じように、デジタル広告費はウェブサイトへの足並みを基にして決められるので、ヒット数が上がらないと広告収入も上がらないという難しさもある。
Pew Foundationの統計によると、2012年度の調査対象の日刊紙の総合収入をみると、デジタル広告から新に一ドル得るたびに紙媒体の広告収入が15ドル減っている状態だったという。採用凍結を導入している新聞社が多いはずである。
 
それでも、デジタル化の波に乗って進むしかない。
業界では、刷った新聞は近い将来なくなるという前提でデジタル化が進められており、既に活字版を廃刊にして全面オンラインに切り替えたり、印刷を一週間に数回だけに減らしている新聞社も多々出て来ている。

読者が望むものを与えようにも、一体何が必要とされているのか今一掴めず四苦八苦する新聞業界。デジタル化で生き残れるか。それとも、「誰もいなくなった」日がやって来るのか。


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2014年3月4日火曜日

街にマリワナ薬局がやって来る。


ひっそりした工業地帯に佇むこの建物に、医療マリワナの薬局が設置されるという。


ハイウェイから見えるビジネス・ホテルの裏に、隠れるように佇む空き工場。
地元の人でも滅多に足を運ばない工業地帯にある建物の一角に、医療マリワナ専門の薬局が近々開店するという。
 
これは、今年に入って医療マリワナ栽培・販売の仮許可が下りた薬局20社のひとつ。マサチューセッツ州では初めての試みだ。ボストン郊外北部でマリワナ薬局が開く予定のコミュニティーは数か所に限られているが、私が住むローエル市はそのうちのひとつである。
 
医療マリワナというのは、医者が処方箋を書いて出すマリワナのこと。大麻というと麻薬のようなイメージが強いが、マリワナには依存症に陥ったり過量投与で死に至る危険がない面で、覚せい剤とは根本的に異なるそうだ。
 
大麻のアメリカでの俗称は、「ポット」、または「ウィード」。タバコのように火をつけて吸引すると頭がくらくらしたり妄想がおきたりするというが、その原因になる成分は上手に使うと、合成薬品では処置できないようなひどい痙攣発作や癌科学療法から起きる吐き気の抑制など、優れた薬理作用があるという。そのため近年、今まで交通事故の原因や労働意欲の妨げになると悪者扱いされてきたマリワナを見直して、重病患者の苦しみを和らげるための医療マリワナを合法化しようという動きが全米で拡がっているのだ。
 
マサチューセッツ州は、2012年11月に州選挙で過半数の住民が医療マリワナの合法化に賛成。全国で19番目の薬用マリワナ認可州(ワシントンDCも含めて)となった。隣接するニューハンプシャー州も、去年合法化された。 一般的に処方箋がもらえるのは、癌、エイズ、癲癇、諸々の神経性の病、緑内障、等の病気を持つ患者。病状、重度など考慮されるので、ケースバイケースだ。
薬用マリワナは吸引用の巻きたばこのようなものもあれば、マリワナを混ぜて焼いたクッキーやブラウニーなどのスナックもある。ローエル市で開く薬局では、マリワナのエキスを融合した調理用オイルも販売する予定だという。
 
勿論、薬用といえども今まで犯罪とみなされてきたマリワナの流通の合法化に反発する声はある。マリワナは覚せい剤使用の道への第一歩と唱える人々。また、マリワナの薬理効果は科学的に証明されていないと、ガンとしてマリワナ処方を拒む医師も沢山いる。問題なのは、薬理効果の証明はこれまでやろうにも出来なかったこと。これだけ多くの州が合法化している今でも、連邦政府はマリワナは薬用でも娯楽用でも違法となっている。そのため、国から援助金をもらっている大学などでは、マリワナの研究は一切手をつけられない。処方箋マリワナ認可の運動は、合法化される前に潜りで使っていた患者の体験によって効果が口コミで拡がったのが基だったようだ。
 
しかし、覚醒剤や強力な鎮痛剤を麻薬の代わりに誤用する者が後を絶たないアメリカでは、マリワナを全て違法にしておくと、逆に闇市場での値段を釣り上げて犯罪や暴力団体の資金集めに繋がると言った意見もある。
 
マサチューセッツ州では、マリワナ薬局は自給自足が法則的に義務付けられている。栽培は屋外だと盗難や種の拡散防止が難しいためか、室内でしか認められない。 店頭の裏に栽培室を設ける会社もあれば、田舎で栽培したものを販売店まで運送するケースも多々ある。私が住むローエル市の薬局の場合は後者。店頭は交通の便が良いハイウェイの傍を選んだとのことだ。
 
今のところ仮認可が下りたのは20社だけだが、ゆくゆくは最大限35の免許が出る見込み。去年の夏に免許申込みの受付が始まった時点では、181もの応募が殺到した。しかし、医療機関とみなされるマリワナ薬局は、専門知識、資金、運営のプランなどすべての面でかなりしっかりした枠組みがないと免許がおりない。免許申込みの手数料が第一次審査だけで1,500ドル。第二次審査まで進んだ場合には、3万ドル別途に払う必要がある。この料金は審査でふるい落とされても返却されない。(といっても、仮認可の下りた先は政治家とつながりのある会社が多かったというクレームがあり、現在審査の基準に疑問が寄せられている。)
 
ローエル市に開店を予定している会社の代表取締役は、イースタン・マウンテン・スポーツという名のしれたスポーツギア会社の元社長。役員達も錚々たる顔ぶれが並ぶ。そのうち何人かは、アリゾナとワシントンDCで既に開かれている医療マリワナ薬局の設置と経営に携わって来たという。彼らの推定は、ローエル市での推定販売量は最初の一年で154kg、約228万ドルの収益が見込まれている。かなり投資しても、元がすぐとれるという計算らしい。医療マリワナ薬局が設置されて数年になるコロラド州の税務局によると、州内にある全ての薬局の合計収益は、去年の7月1日から9月30日の3か月間で10.9億ドルに及んだという。
 
大麻の栽培・販売は連邦政府の法律の下では使用目的を問わず全て違法なので、経営にリスクはつきもの。いくら州のレベルで医療マリワナが許されていても、FBIなどに押し入れられてやむなく閉店に追い込まれる可能性がある。しかし、医療マリワナの合法化が広まるに従って、大麻そのものに対する味方が全国的にかわりつつあり、コロラド州では最近全国で初めて娯楽用マリワナの栽培・販売が合法化された。現在娯楽用マリワナ店の殆どは州都のデンバー市に集中しており、外に永く出来る客の列の映像がテレビ報道などで良く見かけられる。
 
アメリカでは1960年代にヒッピー族の間で娯楽用ドラッグとして多用され、取締りも厳しかったマリワナ。大麻の見直しは、文化の推移の反映と言えよう。



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2014年2月17日月曜日

雪が降ったら自家用車を「にわか除雪車」に変身!

(Creative Commons: by Sue Clark)


毎年、除雪用のプラウを付けた四輪駆動車が街中で走り始めると、冬が来たなと感じる。
 
日本でもあちこちで使用されている筈だが、スノープラウというのは、雪を押す弯曲した板のような器具のことで、四輪駆動車や軽トラックの前方に付けたり外したり出来る。アメリカは、大工や庭師は勿論のこと、特別な職業でなくても四輪駆動車を乗り回している者が多く、冬場になると自分の車にプラウを取り付けて「にわか除雪者」に変身して副収入を得る人がかなりいる。雇い主は、自治体や、ご近所の家庭。シャベルで掘ると3時間くらいかかるような雪を、一挙に3分足らずで押しのけてしまえるのが魅力だ。ドライブウェーの除雪が欠かせないアメリカでは、料金を払ってでもスノープラウに来てもらう価値はある。


自治体は、必要な重機は揃えてあるが、大嵐の時に自前で全てやれるほど沢山の除雪器具や人手が揃っているわけではない。ということで、こういう一般市民の除雪者に降雪の際に出動してもらう契約をしている。


雪の警報がでると、自治体はまず重機を使って凍結防止剤を道路に散布する。雪が本格的に降り始めた時点で、自治体職員と契約している「にわか除雪員」が出動。それぞれ受け持ち区を持っており、ぐるぐる巡回して除雪する。四輪駆動車プラウは20センチ以上の雪でもお茶の子だが、やはりあまり積もらないうちに押した方が楽なので、大嵐の時は除雪車は一晩中巡回している。自給制なので、長時間作業が必要な大嵐が何度もあると、年度末の決算の時に「除雪予算」から足が出る。また、自治体職員には週末の作業には残業手当が出されるので、嵐が週末と重なり続けると自治体は大赤字だ。


四輪駆動車プラウは、アメリカでは路地に使われることが多いが、大通りをこれで除雪するのも大いに可能だ。ボストン地域では、大通りには専用除雪車を使い、合間を縫って重機で滑り止めの土を蒔く。大雪で雪の置き所がない場合には、道路のわきに積み上げておいた雪を小型のトラクターで大型トラックの後部に移し替え、公立の運動場などに持って行く。どうしても捨てる場所が見つからない場合は、火を焚いて溶かして下水に流すという方法もあるらしいが、今のところそれが必要になった例は聞いていない。 (環境保護のため、凍結防止剤や道路のゴミが混ざっている雪を、河原に置いたり川に捨てるのは法律で禁止されている。)


四輪駆動車プラウの利点は、平凡な自家用車を季節的に除雪車に豹変させられること。プラウを付けたままで普通に運転も出来てしまう。プラウ付きの車でスーパーに買い物に来る人も珍しくない。プラウ自体がそれほど大きくないので、保管にもそれほど場所をとらない。(と言っても、東京の住宅街などだと、プラウを置いておけるような家は少ないかもしれないが、自治体の車庫などに置いておくにはもってこいのサイズであろう。)
 
日本でのどのくらい利用されているか調べようとしていたら、軽トラックのプラウで除雪している動画が出てきた。


最近は異常気象が続き、緯度の違う東京地とボストンの天候パターンがそっくりだったりして驚かされる。ここ一週間は、アメリカ南部でも雪。滅多に降らない場所なので、数センチの雪でも交通が麻痺して立ち往生していた模様だ。 私の友人によると、アトランタに住む知人は大風吹の最中に渋滞で身動きできなくなり、車をそこに捨て去って歩いて家まで帰ったそうだ。
 
東京は大雪が稀だから、自治体でそろえてある重機の数に限りがあると友人から聞いた。また、雪を置く場所がないというのも合点が行く。四輪駆動車プラウは使い方を知らないと操作出来ないが、自治体である程度の数のプラウを保管しておき、軽トラックや四輪駆動車を持つ企業などと提携して冬場の始めに操作の講習をし、いざという時に出動してもらうということは出来ないかというのは、海を隔てている者の現実離れした想像だろうか。
 
何事も器用にこなす日本。次回の大雪に備え、日本北部の除雪方法からも使える部分をとって、現地の自治体に合う独自の対策を思いついてくれればと、海の彼方からひそかに期待を寄せている。


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2014年1月29日水曜日

自治体が見張るゴミ箱事情






アメリカでゴミ箱のハイテク化が進んでいる。
 
自治体から各家庭に配給されるカート(車輪付のゴミ箱)は一見ごく普通のプラスチック製だが、実は外から見えにくい場所にマイクロチップがはめ込んである。
 
マイクロチップの使い道は自治体によっていろいろ。ゴミの重量を自動的に測って、住民から「ゴミ捨て料」を徴収する市もあれば、リサイクリング物を定期的に出しているかチェックする町もある。だが、チップを使う動機はどこも基本的には同じ。再資源化が不可能なゴミを減らし、一般ゴミの処理費を節約したいということらしい。(余談になるが、アメリカでは「燃えるゴミ」、「燃えないゴミ」という分別はない。というのは、ゴミの処理は焼却よりも埋め立ての方が普通だからだ。)
 

私が住むローエル市でも、今年からマイクロチップ入りのゴミ箱が導入された。ボストン北部では初めてだという。
 
これは、リサイクリング物収集用の箱。勝手口や裏庭に置いておき、回収日に歩道までガラガラと引いて行って出すものだ。容積96ガロン(363リットル)と巨大なのは、回収を二週間に一回に限って、収集トラックの燃料費と運転による温室ガス排気を制限するためだという。これだけ大きな箱なら、家族が大きくてリサイクル物の量が多くても二週間はもつだろうというわけだ。
 
このマイクロチップの正式な名称は、Radio Frequency Identification (RFID) System。市のリサイクリング部では、箱を配布する前に、各ゴミ箱にそれぞれの番号を割り当て、配布先の住所と一緒に登録している。言ってみるなら、ペットに埋め込むマイクロチップと同じようなもので、ゴミ箱をスキャンすると、その箱が誰に所属するかわかる。
 
回収トラックには運転席からコントロール出来る金属製の「腕」がついていて、歩道に置いてあるゴミ箱を自動的に持ち上げる。中身をトラックのコンテナーに空けて、歩道に置きなおす。その過程で、マイクロチップが読み取られ、どのゴミ箱が回収されたのかわかるようになっている。また、このマイクロチップはGPSでもあるので、回収された場所も同時に読み取られる。
 

市のコンピュータと回収トラックの運転席に設置してあるコンピュータが繋がっており、市の職員は回収データを簡単に見れるようになっている。このシステムの魅力は、「過去2か月一度も回収されていないゴミ箱はどれか」とか、「過去3か月ゴミ箱を歩道から離れた場所(裏庭など)に放置してある家はどこか」といった情報をあっという間に分析出来ることだそうだ。市のリサイクリング部のマネージャーは、再資源化可能なゴミを出さない家庭に直接連絡して訳を聞き、リサイクリングを奨励したいと言っている。リサイクリングをすればするほど一般ゴミの量が減り、埋め立て費用も節約できるという考え方が根底にある。

勿論、このように各住民のゴミ捨て習慣を分析するのはプライバシーの侵害だという意見もある。三年前に一般ゴミ用にマイクロチップを導入した英国ロンドンでは、住民からの反発が強かった模様だ。ローエル市では反論はまだない。自分としてはゴミを減らすことには賛成だが、家の敷地内に市のコンピュータと繋がったものがあるというのは、気分的にはなんとなく見張られているような感じが否めない。
 

ローエル市の場合には、行方の分からなくなったゴミ箱の居所を見つけるのもマイクロチップ導入の動機のひとつだという。一般ゴミの回収には別の箱が使われているが(これはマイクロチップ無し)、箱に入りきれない分は料金を払って捨てなくてはいけないため、他人のカートを盗む人が後をたたないのだそうだ。盗むのは一般の住人ではなく、アパートの大家が殆どという。テナントの出したゴミの処理費は大家持ちのケースが多く、どうやらその費用をケチりたいらしい。中には、市内の自宅からわざわざトラックで毎週市配給の一般ゴミ箱をアパートまで持って行く大家もいるという。住む区域によって回収日が違うので、自宅の箱の回収が終わった後アパートに持っていけば、同じ箱を二度使えるというわけだ。
 
新しいリサイクリングのゴミ箱だと、そう上手くはいかない。
「過去2か月間、回収地がかけ離れていたゴミ箱をどれか」といったデータ分析もおちゃのこだ、とマネージャーは新しいシステムに期待を寄せて入る。

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2014年1月16日木曜日

食を育てる「種図書館」





あと数週間すると、野菜や花の種のセールや、育て方の講習会などがあちこちで始まる。
気の早い話に聞こえるかも知れないが、地面が凍っているうちに苗育ちの準備を整えておこうという人は結構いる。雪積もるマサチューセッツにいると、その心意気に春の兆しを覚えてこっちまで嬉しくなる。
 
最近、こうした農園芸に興味のある人を惹きつけているのが、全国各地の図書館で広まっている「種の貸し出し」サービス。人参からトマトからズッキーニまで、様々な種類の野菜の種が無料で手に入る。ただ、これはあくまで「貸出し」。利用者は種を自宅に持って帰って野菜を育て、収穫後に種をとって保存する。それを図書館に持ち帰って「返却」するわけだ。
  
種の収穫というと難しそうに聞こえて怖気づく人もいるかもしれない。しかし、司書たちに言わせると心配無用。図書館では「種の取り方講座」を通年何回も開き、素人でもわかるように丁寧な指導をしているとのことだ。
 
先日、図書館のサービス多角化について書いたが、種貸し出しはそのひとつ。2010年にカリフォルニア州リッチモンド市の公立図書館で始まって以来、アイデアが各州あちこちの図書館に飛び火してきた。もともとの動機は、遺伝子組み換えをしていない種を守ること。大量生産のせいでスーパーに出回っている野菜は決まった品種に限られており、昔ながらの品種が消え失せてしまうのではないかという懸念が広がっている。このため、「シード(種)図書館」は店頭ではなかなか見かけない品種の種ばかりだ。
 
環境問題や食品に関する意識が高まる中、生鮮食料品はなるべく地元でとられたものを購入し、出来れば自分でも育ててみようという運動も高まっている。図書館はその社会的傾向に素早く反応し、生活に役立つサービスを提供しようとしているのだ。
 

図書目録がオンライン化されてから二十数年。倉庫に置きっぱなしになっていた目録カードケースを利用して種を提供しているのも、魅力のひとつだ。引き出しを開けるとインデックス・カードのかわりに種の入った小さな封筒がぎっしりと詰まっている。


 

マサチューセッツ州で最初に種貸し出しに乗り出したのは、ボストン郊外の小説『三人姉妹』の舞台で有名なコンコードという町の図書館。それは約一年前だったが、その後あっという間に近郊のグロトンという町から隣接したリトルトン町へと広がった。
 
一昔前は読みたい本を見つけるためには欠かせなかった目録カードケース。今、引き出しの中に新しい「わくわく」が詰まっている。




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2014年1月13日月曜日

本の消えゆく図書館



図書館から本が消えて行く。
 
そんな時代を想定した図書館作りが、アメリカで拡まっている。


子供の頃は、図書館と言えばぎっしり並んだ本棚の間に身を埋めながら背表紙の分類番号を辿って本を探す場所。読みたいが一心に重たさも忘れて本を家に抱えて帰ったものだ。最近は、こうした光景は減りつつある。というのも、図書館利用者の多くがタブレットやスマホを使って電子書籍を「借り」ているからだ。
 
段取りは極めて簡単。地元の図書館のウェブサイトから貸出アプリを端末にダウンロードし、図書館使用者番号などを使ってログインするのがボストン郊外では一般的だ。読みたい本を検索したら、クリック。数十秒で本が端末に届く。空港で本を買う代わりに、ロビーに座りながらタブレットで自分の町の図書館から貸出する人や、バケーション先からダウンロードする利用者もいるらしい。
 
しかも、返却期限が来ると、本が自動的に端末から消える仕組みになっている。遅延ペナルティーの心配は全くないわけだ。

勿論、出版社は本の廻し読みをされると収益にならないため、図書館に電子書籍を売ることを毛嫌う。そのため、図書館で手に入る電子書籍のリストに限りはあるが、それでも近年選択の幅がかなり拡がってきた。 
 

アメリカの図書館は手に取って見れる本にあまり固執していない。
「新聞や本は、やっぱり指でめくる物。紙の匂いがしないと読んだ気がしない」と嘆く者も少なくないが、そういう人ですら電子ブックリーダーは持っている。図書館の司書は、これを時代の変化として受け入れており、グロトンという町の図書館では、支援者から募った助成金を使って購入したキンドルやヌック(アメリカで人気のある電子ブックリーダー)そのものを住民に貸し出して、「お試し体験」を推奨したりもしている。


アメリカの図書館の時代への適応性は今に始まったことではない。図書館は、そもそも「知識の共有と普及」のために存在する場所。グロトン公立共図書館の入り口に刻み込んである「Open to All 」という言葉は、正に図書館の起源となる概念だそうだ。


 
図書館は、「物を借りて返す場所」でもある。グロトン図書館のテクノロジーサービス司書によると、農家の多いマサチューセッツ州西部では、昔は図書館を通しての農具の貸し出しもあったそうだ。
(実は最近、野菜自家栽培のブームに応えて、種の「貸出」をする「シード(種)図書館」を館内に設けている図書館が近辺に現れ始めた。この話は、また後日紹介する。)
 
何の貸し出しが求められるか、また、どうやって知識を普及するか、利用者のニーズは時代によって変わるというわけだ。多くの図書館が音楽CDや映画DVDの貸し出しを永年してきたのも、このためだという。近年では、図書館を通してiPodなどに直接音楽をダウンロードすることも出来る。同じ理由で、アメリカはほぼどこの図書館でもWifiがある。今やインターネットなしで、知識の普及は成り立たないということだ。


 

いくつか本棚を取り払ってコンピュータを設置する図書館も少なくない。インターネットが調査に欠かせないというだけではなく、不況でレイオフされた労働者が家庭でインターネットをひく費用を節約せざるを得ず、図書館に来て履歴書をタイプしたりネットの求人案内を調べたりすることが多いからだ。「上手な履歴書の書き方」といった無料講座を専門家を招いて開く図書館も数多くある。

こうした理由のため、本がなくなったら図書館の必要性がなくなる、という懸念はないらしい。図書館の「出会い」の場所としての役割もますます求められていると、司書らは語る。小銭を残して自分でコーヒーをつぐ、カフェ・コーナーを設けている図書館も多い。


時代が変われば、図書館も変わる。未来を読み取る第一歩は、図書館に足を運んでみることかもしれない。



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