2014年4月8日火曜日

「そして、誰もいなくなった」ら…

 
もと編集室。引っ越し後、机も椅子もなくなり、掃除を待つばかり。


職場で引っ越しがあった。
近年めっきりスタッフの数が減った編集部。ガラガラ状態になっていた部屋を引き払い、同じビルの反対側に移って他部署とスペースを共有することになったのだ。 

このビルは、アメリカ繊維歴史博物館が一角に構える、重工な煉瓦造りの建物。我々は、5年程前に狭くて汚くなったダウンタウンのビルから意気揚々と引っ越してきた。当時の編集室は70人以上のスタッフが所せましと肩を並べ、彼らの電話取材の声や人の出入りで喧噪に満ちた場所だった。しかし、その陰で既に始まっていた採用凍結。ボストン界隈も含め全国的に新聞の発行部数が激減する中、我が社は黒字を維持してきたが、それ自体が既に奇跡に見えてしまうご時世が到来していた。
 
また、この新聞社自体が黒字でも、全国に数多くの新聞を抱える親会社は赤字。私の職場でもレイオフはここ8年で数回あった。スタッフが辞めても代わりは雇われず、そのポジションが自然消滅するというのが恒例だ。その分の仕事は勿論現存のメンバーがこなさざるを得ない訳で、プレッシャーは増すばかりだ。そして気が付いてみると、かつては満席に近かった編集室が半分空き部屋状態になっていた。

今回の部屋の移動は、言ってみるなら新聞業界の衰退を絵で描く引っ越しなのだ。

新聞業界の衰退はテレビやインターネットのせいと良く言われるが、現実にはそれほど単純な問題ではない。 
 
確かに、同じ記事をインターネットで無料で読めるなら、わざわざ紙の新聞を買う必要はない。2008年に米経済がが崩壊した直後は、財布の紐を引き締めるために紙の新聞の購読を減らす家庭も多かった。デジタル版の新聞でも、有料なものは購読せずに似た情報を得られる無料サイトから手に入れて間に合わせる手もある。これは、今やネットの記事すらなかなか読んでもらえない理由のひとつであろう。

 しかし、私個人としては、新聞の衰退は民衆の行動パターンの変化といった奥深い問題が原因となっていると考えている。そもそも、最大の要因は「読む」という習慣が廃れてきていることなのではないだろうか。言ってみるならば、「紙離れ」ではなく、「読み離れ」である。
 
最近は、編集室で「デジタル」と言ったら、まずビデオのこと。記者は従来の取材を続ける中、同時に45秒ほどのビデオを撮ることを義務付けれられている。これは、ネットで記事だと読んでくれなくても、ビデオがあるとクリックしてくれる読者が多いからだ。
 
先日、一般市民がどれだけ地元の市政に疎くなってきているかについて同僚と嘆いた。市議会を聴衆するわけでも、議員選挙に投票するわけでもなく、ひたすら税金が高いなど苦情を唱える住民たち。なぜ、新聞に毎日載っている詳しい市政の記事を読まないのか。その時、同僚が言ったこと。
「でも、良く考えてみると、仕事終わって疲れて帰って、そういう記事なんか読んでられないよね。」
 
「読んでられない」から、気楽な動画であらすじを掴みたいということなのだろう。

ジャーナリズムの学位をとり永年経験を積み上げて得た知識が、45秒の動画とTwitterの140文字に化けるということに嘆かないわけではない。しかし、いくら良いものを書いても読者が読んでくれないのでは、会社の経営も記者の生活もなりたたない。

アメリカ新聞協会によると、日刊紙発行部数は全国で2000年から2011年の間に約20パーセント減ったらしい。これはあくまで総合数で、州都などにある大手の新聞は購読数が激減したところが多い。これは、アメリカ人は自宅から半径数キロ以内の地元情報を最重要視する傾向が強く、州全体をカバーする新聞はなくても凌げるからだ。最近はデジタル版のおかげで購読数が持ち返してきている新聞もある。
 
だが、だからと言って収益が伸びているわけではない。インターネットの広告費が紙媒体の広告費とはくらべものにならない程安いからだ。
 
「インターネット」という言葉が一般的に使われ始めた1900年代に、新聞社はどこもオンラインの広告需要を上げるために、料金を叩いて提供していた。その後、需要が上がっても何故かなかなか料金は上がらず、現在に至っている。
 
また、紙媒体の広告料金は発行部数で決まるのと同じように、デジタル広告費はウェブサイトへの足並みを基にして決められるので、ヒット数が上がらないと広告収入も上がらないという難しさもある。
Pew Foundationの統計によると、2012年度の調査対象の日刊紙の総合収入をみると、デジタル広告から新に一ドル得るたびに紙媒体の広告収入が15ドル減っている状態だったという。採用凍結を導入している新聞社が多いはずである。
 
それでも、デジタル化の波に乗って進むしかない。
業界では、刷った新聞は近い将来なくなるという前提でデジタル化が進められており、既に活字版を廃刊にして全面オンラインに切り替えたり、印刷を一週間に数回だけに減らしている新聞社も多々出て来ている。

読者が望むものを与えようにも、一体何が必要とされているのか今一掴めず四苦八苦する新聞業界。デジタル化で生き残れるか。それとも、「誰もいなくなった」日がやって来るのか。


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1 件のコメント:

  1. 先程FBでお顔を見て、こちらをチェックしてました。新聞事情が悪いというお話は聞いてましたけど、こちらの新聞社がここまで煽りを受けてたとは知りませんでした。全世界的に起きている新聞離れ、そして本離れ、私も本が好きで翻訳者志望だから、人ごとではありません。ただ、この先、完全に新聞も書籍もなくなるとは言い切れませんよね。先日、IT関係の方とお話してたら、「今でこそ、IT業界なんて言われてるけど、自分が始めたころは、そんな言葉すらなかった。それに、10年先に自分たちが必要とされてるかも分からないぐらい不安定な状況だ」とおっしゃってました。逆の立場の人たちも先が見えないわけだから、私たちも自分が信じた通りにやって行くしかないのでしょうが、これから難しい選択を迫られることになりそうですね。

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